9月24日(日)のお昼に新宿発の成田エクスプレスの車内で、
中島さんと待ち合わせしました。
で、まずは成田空港へ行って搭乗手続き、それから3万円をドルに両替して、
その次が出国手続き。で、18:00発の飛行機に乗ってサンフランシスコへ出発しました。
サンフランシスコまではJALに乗って8時間です。退屈なんだけど、アナウンスが
日本語だし、スチュワーデスさんも日本語が通じるんで助かりました。
ビール飲んで、機内食を食べて、その途中でワインをもらって、コーヒー飲んで、
映画(日本語の音声あり)観たところで客室は消灯されちゃいました。
寝つけないので、普段は飲まないウイスキーを日本語で頼んで、
しばらくチビチビやっているうちに眠くなってきたんで寝ました。
行きはお陽さまと反対に地球をまわるんで、どんどん暗くなっていって、
3時間ぐらい寝ると朝ご飯でした。
そんな調子でサンフランシスコに着いたのがぼくの腕時計では夜中の2時ですが、
現地の時間ではお昼前の11時。途中で日付変更線を越えたんで、
同じ瞬間にサンフランシスコは日本の15時間前ですね。
飛行機を降りると、もう英語の世界。まずは入国手続きです。
出発前、中島さんに
パスポートとか、入国審査の書類とか、ホテルの予約票とか、
全部ババっと出しちゃえば、こいつ、わけわからないんだな、と思って、
あんまり何も言われずに通してくれるよ
と言われていたんで、
Hello.
と言いながら書類一式を出したら、向こうも
Hello.
と言いながら受け取って、一通り書類を見て、
Business?
って言うんで、そこに書いたるやろう、と思いながらもにっこりと
Business? Yes, business.
と答えると、パスポートに入国票をホッチキスで留めてくれたんで、
Thank you.
と言いながら受け取って、向こうも
Thank you.
と答えて、入国審査は無事済みました。
それからとにかく中島さんにくっついて歩き、チケットを預けて国内線の搭乗手続きを
してもらって、13時発の国内線に乗りました。今度はさすがにUnited Airlineで、
飛行機もエアバスっていう小さめのです。
日本人の客が多いらしく、
飛行機が落ちるときはお祈りをしなさい…じゃなくって、
こういう姿勢をとりなさい。
とか、
落ちたら非常口はここにある
とか
救命胴衣は椅子の下にあるからこうやって着ろ
とかいうパンフレットには
日本語も書いてありましたが、アナウンスは全部英語なのね。
当然のように、何を言っているんやらわからんわけ。
うーん、これは困った…、と思っているうちに離陸して、
しばらくすると、パーサーのお兄ちゃん1名とスチュワーデスのおばちゃん1名が
コーヒーを持ってやってきました。
日本だと(ってのもちょっと変か…JALで :-)、同じシチュエーションなら
コーヒーはいかがですか?
ってな事を言いながらまわってくるんですが、あちらは、なのか、はたまたUAが、
なのかはわかりませんが
Coffee! Coffee!
と大きめの声を出しながらまわってきました。
途中、うとうとしながら4時間飛んで、アトランタまで4時間。
着いた時は、現地時間で夜の9時です。サンフランシスコとアトランタで
2時間の時差があるわけです。空港でレンタカーを借りて
フリーウェイをしばらく走ってホテルに着きました。
ぼくは国際免許は取ってる余裕がなかったんで、全部中島さんの運転です。
ホテルに着いて駐車場へ入ってみると、入口にはシャッター、といっても、
映画に出てくるような、丈夫な網のような物が閉まっていました。
しばらく悩んだ後、しょうがないんで、中島さんがフロントへききに行ったら、
4桁の番号を教えてもらってきました。
入口横のボタンでその番号を押すと見事にシャッターが開きました。
車を駐めてエレベータに乗ろうとすると、またボタンがあって、
同じ番号を押さないとエレベータに乗れない仕掛けです。
フロントでチェックインして、部屋へ行くのにエレベータに乗ろうとするとまた…。
中島さんが
もしかしたら、アトランタっていうのはあんまり治安がよくない街なんかなぁ
なんて言い出しました。
まぁ、そうは言いながらも部屋へ荷物を置いて、飯行こうか、ってことになったのが
10時半ぐらいだったかな。フロントに飯屋、教えて、ってききに行ったんですが、
何が食べたい? … あそこはしまっちゃったしなぁ…、ピザはどう? というような
やりとりをして、結局ピザとコーラの配達を頼んで、だいぶ待って
イライラし始めたころに巨大なピザがやってきました。
長〜い日曜日はそれで終って、ぐっすり寝ました。
last update $Date: 2018-10-21 16:09:48 +0900 (Sun, 21 Oct 2018) $