このページはリンク切れを生じないために残してありますが、内容は古くなっていますのでご注意下さい。
7月1日
CannaのINSTALL.jpに目を通すと、ヘッダの手直しの事が書いてある。
記述にしたがってヘッダを直し、GNU makeでmakeするとO.K.。
Cannaのmake installが済んだら、ひきつづきmuleもmake。こっちは1発。
7月2日
mhをmakeするがsys_errlist
でひっかかる。
namedの設定をする。
7月3日
mhのソースを見ると#ifdef BSD44
となっている。
conf/MH
に追加してmake。
ついでにMew-1.69をftpしてきてmakeするが、設定ファイルがないのでうまく動かない。
そのうちsallyからコピーしよう。
7月8日
BJ-10Vをつなぐ。ケーブルがちょっと短かった。
とりあえず届く位置へプリンタを移動する。
esc-ifでplain textが、GhostscriptでPostscriptがプリントアウトできるように
/etc/printcap
を設定した。
7月28日
ここのところ使うばっかりでシステム構築的な事は御無沙汰だったが、
場所を飯山のディスプレイに譲ったNEC純正15インチディスプレイを横目に
飯山のマニュアルの定格を見てみると、
走査周波数 水平:24.8〜92.0kHz
と書いてある。なんだ、これなら98も繋がるではないか。
7月29日
というわけで、昼休みにビック・パソコン館で98用変換ケーブルと
BNC-Dsubのケーブルを買ってくる。
BNCでつなぎ直したlucyの方は同期信号のコネクタをつなぎ間違えて
しばらくハマったが映るようになった。
marcieはいくらやっても映らない…と思っていろいろ調べたら、
電源が抜けていた。一人密かに赤面 *^^*
。
めでたくBNCでlucyの画面が、Dsubでmarcieの画面が映るようになった…
けど、この先、marcieの役目は?!
8月15日
w3c-html-2.0Aとsocks5をインストールし、
lucyを経由してsallyからWWWとtelnetできるようにした。
8月28日
sallyのOSをこれまでのFreeBSD 2.1.0-R+Laptop Packageから
FreeBSD 2.2.2-RELEASE+PAOにバージョンアップする。
今までの組合せではWIDE dhcpcでは職場で動いているISC dhcpdから
サービスを受けられなかったのだが、
2.1.7(?)+PAOでは動作しているという情報があったので。
OSのバージョンアップからPAOのインストール、WIDE dhcpのインストールまで
一気にやって、早速試したところバッチリ動作した。
8月31日
lucyにISC dhcpdをインストールする。
職場で使っていて、configファイルの記述もまぁまぁ分かっているので
ISC版にした。
makeを終え、早速configファイルを記述してsallyをつないでみるが
サービスを受けられない。
サーバ、クライアントともdebugモードで動かしてみると、
sallyが2.1.0-Rだったときと同じ現象で、サーバがDHCPACKを渡しているのに
クライアントは受け取れていない。
バイナリはあるのだから、と、サンプル、ドキュメント、ユニマガと首っ引きで
configファイルを書き、WIDE版のサーバも試してみるがうまくいかない。
今日はここまで、と切り上げる。
9月1日
昨日の続きでWIDE版dhcpsをdebugモードで動かしてみると
configファイルにtypoが見つかった。それを直すと見事に動いた。
ISC版を動かす事が目的ではなくDHCPを稼働させるのが目的なので、
ISC版については追求しないことにする。
9月12日
lucyでCD-ROMをmountするときは、どこで手に入れたんだったかcdmountという
setuidコマンドを使っている。suせずにmountはできるがSolaris2のvoldに比べると
見劣りするなぁ…。
ということでamdでCD-ROMをmountできるようにする。
せっかくだからejectまでソフトウェアでやりたいな、と探してみると
CDIOCEJECTというioctlコマンドがあるのを発見して
プログラムを書いてみるとエラーは出ないがトレーも動かない。
9月15日
/usr/local
を共有するにはOSのバージョンがそろっていた方が都合がいいので
marcieのOSをFreeBSD(98) 2.2.2R-ALPHAにバージョンアップする。
lucyをftpサーバにして98依存部はftpしてきて、
それ以外はUNIX USERのCD-ROMという構成。
あれやこれやとシンボリックリンクを張ったりなんやかんやしてインストールする。
ところが外付ディスクを剥されたmarcieには
/usr/src/sys
を展開するスペースもない。
仕方ないのでNFS先でカーネルを作り直す。
9月17日
動かないときゃ、やっぱカンニングだよね、でも何を見ようかな? と考えて
removableデバイスにioctlするmtのソースを見てみたけど手がかりがつかめず、
何かないかなぁ、と考えた末、思い付いたのがxcdplayer。
見てみると、まさにそのもののコードがあった。
CDIOCEJECTの前にCDIOCALLOWをやらなければいけないらしい。
試してみると、みごとにejectされた。
9月18日
ejectコマンドを書き上げる。
もうちょっとテストしたらこのページで公開しますね。
今のamdのマップではメディアがドライブに入っていなかったり、
入れた直後で認識されるまでの間に/cdrom
をアクセスすると
/cdrom: Too many levels of remote in path
というエラーが出て、amd を kill -TERM しないと立ち直れなくなることが判明。
9月20日
/cdrom: Too many levels of remote in path
についてfj.questions.unixで質問したところ、-type:=direct
がよくないらしい。結局-type:=direct
で/cdrom
に
マウントするのはやめて/am/cdrom
にマウントし、/cdrom
は
シンボリックリンクを張ることにした。
ということでamdのマップとejectのソースです。
その後…
なんとはなしにこの辺で記録が途切れていますが、その後のこのマシンは
- 諸般の事情でホスト名がpaddingtonに変わった。
- CD-ROMドライブがATAのDVD-ROMドライブ
TOSHIBA DVD-ROM SD-M1202に変わった。
- DVDデコーダボード
REALmagic HOLIWOOD+を入れた。
- ハードディスクもATAの33GB
IBM-DTLA-305030を増設した。
- WindowsMEをインストールした。
- FreeBSDも4.2にバージョンアップした。
元BSD小僧としては4.2というバージョン番号に
強く惹かれるものがあった。
などの変化を経て、健在です。
さらに後日の追記
このページ、内容が古すぎるので消してしまおうかとも思ったんですが、まぁ一応、歴史的史料ってことで残してあります。リンクはほぼ全滅ですが、ごかんべんを。
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